いろはにほへとの小説版を読んで、アニメ見てるときにも思ったことをまた思ったので書いときます。
前半、赫乃丈一座の仇討ちが話を回してる間は、「孤高で流浪の剣士がたまたま係わり合った弱者を助けてまた去っていく」というパターンにはまっているので、登場人物の心情描写が足りなくても割とすんなり見ていられるんだけど、後半の赫乃丈が秋月を追いかけて旅に出る所からは、そういう物語のパターンとしてうまくはまるものがないので、描写が薄いとそのまま見ていてよく分からない、感情移入できない、ということになってしまったんじゃないかなと。別に物語が全てパターン通りに進まなくてはいけない訳ではないけれど、おなじみの型からはずれる分、より力強い筋書きと説得力のある描写が求められると思うんですが、それがあったかというと…。
余談ですが、王道的パターンから言えば、孤高の剣士の思い人には、途中で出会った町娘では不足で、妥当なのは幼なじみの許嫁か主家筋の姫というところだよねえ。まあ赫さんも実は幼なじみだったんですが、話の最後に明かされても手遅れ感が。


小説は赫乃丈視点になっているので、人物描写などはアニメより細やかで、一座の何気ない日常を盛り込んだりと前半はわりと読みでがあるんですが、ストーリーはアニメ通りなので、後半はだんだん苦しくなります。赫さん視点だから、耀次郎の単独行部分などはばさっと切ってあるんですが、けっこう無理矢理出した感じのキャラもあり、開陽に乗り込んだ時ちらっと見ただけのルークとクイーンを「あたしは悟った。あの二人は唯の朋輩ではない。兄と妹、いや、それ以上の深い間柄なのだ」なんてわざわざ言わせてるのはなんだかなあと思いました。そんな外せない重要設定なのかなコレ。


などと文句もありつつ、小説版は読んで良かったです。なぜなら、序章でアニメにはない、耀次郎と龍馬さんの出会いから別れまでが読めるから。龍馬の意志を継ぐって何だったのか、これでようやくわかりました。なんでここをアニメでやってくれなかったのかなあ…? 耀次郎の回想で「海はいいぜよ」「わしゃ脳をやられた」ばっかりやってないで、少しずつでも龍馬と過ごした日々を描いてくれればよかったのにな。


幕末機関説 いろはにほへと (光文社時代小説文庫)

幕末機関説 いろはにほへと (光文社時代小説文庫)